昭和の歌舞伎界を代表する女形として活躍した七代目尾上梅幸さん。
六代目中村歌右衛門と双璧を成し、数々の名舞台を残した名優です。
最近では、孫である寺島しのぶさんや八代目尾上菊五郎さんの活躍により、尾上菊五郎家の華麗なる家系図が注目されていますよね!
この記事では、七代目尾上梅幸さんのプロフィールや経歴、妻の珠子さんとの結婚、養子縁組の経緯や家族構成について詳しく調べてまとめました。

歌舞伎界の伝統を支えた名優の人生に、少しでも触れていただければ嬉しいな〜!
【七代目】尾上梅幸とは?

引用元:歌舞伎俳優名鑑より
七代目尾上梅幸さんは、昭和を代表する女形として歌舞伎界に輝かしい足跡を残した名優です。
1915年(大正4年)生まれで、1995年(平成7年)に79歳で亡くなるまで、戦後歌舞伎の発展に大きく貢献されました。
六代目中村歌右衛門さんと並び称される存在で、歌右衛門さんが古風な面長の美貌を持ち時代物を得意としたのに対し、七代目梅幸さんは丸顔でふっくらとした面差しで、世話物のすっきりとした演技に本領を発揮されていました。
娘役では清楚さが際立ち、中年以降の役どころでは母性や優しさを感じさせる演技が魅力だったんですよね!!
また、人間国宝にも認定され、日本芸術院会員、文化功労者など、数々の栄誉を受けた方でもあります。歌舞伎ファンにとっては忘れられない、まさに昭和の至宝と言える存在ですね!
七代目尾上梅幸のWikiプロフィール

引用元:歌舞伎俳優名鑑より
歌舞伎役者としての経歴と屋号
七代目尾上梅幸さんの基本プロフィールをまとめると、こんな感じです!
本名 寺嶋誠三(てらじませいぞう)
生年月日 1915年(大正4年)8月31日
没年月日 1995年(平成7年)3月24日(享年79歳)
出身地 東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)
屋号 音羽屋(おとわや)
定紋 重ね扇に抱き柏
俳名 扇舎
舞踊名 藤間勘九郎
養父 六代目尾上菊五郎
屋号の「音羽屋」は、尾上菊五郎家を代表する名門の屋号です。
この屋号は、初代尾上菊五郎が江戸時代に活躍して以来、代々受け継がれてきた誇り高きブランド。
現在も八代目尾上菊五郎さんや尾上菊之助さんが継承されていますよね!
七代目梅幸さんは、1921年(大正10年)に市村座で初舞台を踏まれました。
当時はわずか6歳!四代目尾上丑之助を名乗り、『嫩草足柄育』の金太郎役でデビューされています。
幼い頃から養父である六代目尾上菊五郎の薫陶を受け、その芸系をしっかりと受け継いでいかれたんですね〜!
1935年(昭和10年)には三代目尾上菊之助を襲名し、名題昇進。
この時、歌舞伎座で『土蜘』の胡蝶や『筆幸』の娘おゆきを演じて話題になりまし!特に『筆幸』の盲目娘役は、若き日の梅幸さんの繊細な演技が光る役だったそうです!
その後も数々の舞台で研鑽を積まれ、戦後には菊五郎劇団の代表者格として活躍。
1968年(昭和43年)には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、1976年(昭和51年)には日本芸術院会員にも選ばれました。まさに歌舞伎界のレジェンドですよね!
七代目を襲名した時期と背景

※歌舞伎イメージ画像
七代目尾上梅幸を襲名されたのは、1948年(昭和23年)2月のことです。
この襲名には、実は感動的な背景があるんです!
六代目尾上梅幸の未亡人のたっての希望によって、三代目菊之助から七代目梅幸への襲名が実現しました。
六代目梅幸は、五代目尾上菊五郎の門下で活躍した名女形で、1949年に亡くなられた後、その名跡が空位となっていました。
未亡人の強い願いにより、養父六代目菊五郎の息子である菊之助さんが、「梅幸」の名を継ぐことになったんですね。
襲名披露興行では、東劇で『対面』の十郎や『落人』のおかるを演じられ、特に『仮名手本忠臣蔵』の大星力弥役では文部大臣賞を受賞されています!
この襲名の背景には、歌舞伎界における「芸を受け継ぐ」という伝統があります。
血縁ではなく、芸の継承を最優先する歌舞伎界の精神が、こうした襲名を実現させたと言えるでしょう!俺も、こういう伝統を守り続ける姿勢には本当に敬意を感じます!
ちなみに、七代目梅幸さんは襲名後も精力的に活動を続け、1994年(平成6年)には文化功労者にも選ばれました。
最後の舞台は1994年11月の歌舞伎座『直侍』の三千歳役で、翌1995年3月に惜しまれながら亡くなられました。
【七代目】尾上梅幸の妻はどんな人?

結婚の時期や馴れ初め
七代目尾上梅幸さんの妻は、珠子(たまこ)さんという方ですが、残念ながら、結婚の詳しい時期や馴れ初めについては、公式な記録があまり残されていません。

昔の方の綺麗な名前だな〜
歌舞伎界では、昭和の時代には役者の奥方が表に出ることは少なく、プライベートな情報は公開されないことが多かったんですよね。
ただ、長男である七代目尾上菊五郎さんが1942年(昭和17年)に誕生されていることから、結婚はそれ以前ということになります。
おそらく1940年前後ではないかと推測されます!
当時の歌舞伎界では、家同士の縁談や周囲の紹介によって結婚が決まることも多かったそうです。
珠子さんがどのような経緯で七代目梅幸さんと出会われたのかは定かではありませんが、戦前から戦後の激動の時代を共に歩まれた夫婦であることは間違いありません。
【七代目】尾上梅幸の養子や子供について

引用元:歌舞伎俳優名鑑より
実子はいたの?
七代目尾上梅幸さんには実子が3人います!
長男 寺島秀之(てらじまひでゆき)— 後の七代目尾上菊五郎
長女 名前非公開
次男 寺島誠(てらじままこと)— 後の二代目尾上榮之助
長男の七代目尾上菊五郎さんは、1942年(昭和17年)生まれで、現在は歌舞伎界を代表する大御所の一人です。
妻は女優の富司純子さんで、子供には女優の寺島しのぶさんと、八代目尾上菊五郎さん(現・尾上菊之助)がいます。つまり、七代目梅幸さんから見れば、しのぶさんと菊之助さんは孫にあたるんですね!
次男の二代目尾上榮之助さんは、1955年(昭和30年)5月に『菅原伝授手習鑑 寺子屋』の小太郎役で初舞台を踏まれましたが、1979年(昭和54年)2月の『次郎吉懺悔』伊勢屋若旦那六三郎役を最後に廃業されています。
歌舞伎の世界を離れられた理由は公表されていませんが、芸の道は本当に厳しいものなんですよね。
長女については、一般の方として生活されているため、名前や詳細は公開されていません。
養子縁組の経緯と誰を養子に?

引用元:Wikipediaより
ここが七代目尾上梅幸さんの人生において、非常に重要なポイントです!
実は、七代目梅幸さん自身が養子なんです。
七代目梅幸さんは、赤坂の芸者で後に料亭「金林」を経営していた寺田きんさんの三男として生まれました。
実父については「九州博多出身の実業家」という説や、「六代目菊五郎が実父である」という説もあり、はっきりとは分かっていません。
しかし、誕生前からの約束で、生後すぐに当時子のいなかった六代目尾上菊五郎の養子となりました。

つまり、梅幸さんは生まれた瞬間から、音羽屋の後継者として育てられたってことだ!
のちに養父六代目は愛人(1946年に後妻となる)との間に1男2女をもうけますが、梅幸さんは実子同様に育てられたそうです。
ただ、本人が養子であることを知ったのは15歳を過ぎてからだったと言われています。
徴兵検査の時に初めて、戸籍上の事実を確認したんだとか!
この事実を知った時、梅幸さんはどんな気持ちだったんでしょうね。俺も人生の中でいろんな転機があったけど、15歳で自分のルーツを知るって相当なショックだったと思います。
でも、梅幸さんはそれを乗り越え、養父の芸をしっかりと受け継いでいかれた。その覚悟と誠実さには、本当に頭が下がりますよ!
また、梅幸さんの弟には二代目尾上九朗右衛門さんと二代目大川橋蔵さんがいますが、この2人とは血がつながっていません。
養父六代目が後妻との間にもうけた子供たちですが、それでも兄弟として共に育ち、歌舞伎界で活躍されたんですね。
尾上梅幸家の家族構成と家系図

※AI画像生成による尾上家の家系図
代々受け継がれる名跡の重み
「尾上梅幸」という名跡は、初代尾上菊五郎の俳名に由来しています。
初代尾上菊五郎は江戸時代後期に活躍した名優で、その俳名「梅幸」が後に名跡として受け継がれるようになりました。
つまり、「梅幸」という名前には、尾上菊五郎家の創始者である初代への敬意と、その芸を守り続けるという強い意志が込められているんですね!
七代目尾上梅幸さんは、この重い名跡を背負い、昭和の歌舞伎界で見事にその役割を果たされました。
人間国宝に認定され、日本芸術院会員となり、数々の名舞台を残されたことは、まさに「梅幸」の名に恥じない活躍だったと言えるでしょう!
そして、その芸は息子である七代目尾上菊五郎さんへと受け継がれ、さらに孫の八代目菊五郎さん(現・菊之助)へと続いています。
名跡を継ぐということは、ただ名前を名乗るだけではなく、先代たちが築き上げてきた芸と信頼を守り続ける責任を背負うことなんですよね〜!
俺も占い師として活動している中で、「信頼」や「評判」というものの重さを日々感じています!
一度築いた信頼を守り続けるのは本当に大変だけど、それこそが次の世代につながる財産になるんだと思いますし、七代目梅幸さんも、きっと同じ思いで舞台に立ち続けていたんだろうな〜!
【⏬七代目尾上菊五郎の妻と子供は!?画像あり】
まとめ
七代目尾上梅幸さんについて、この記事で分かったことをまとめます!

ざっくりまとめてみた!
【要点まとめ】
- 七代目尾上梅幸は、昭和を代表する女形として六代目中村歌右衛門と双璧を成した名優
- 1915年生まれ、1995年に79歳で亡くなるまで歌舞伎界に貢献
- 屋号は音羽屋、人間国宝・日本芸術院会員・文化功労者などの栄誉を受けた
- 妻は珠子さんで、長男に七代目尾上菊五郎、次男に二代目尾上榮之助、長女がいる
- 七代目梅幸さん自身が養子で、生後すぐに六代目尾上菊五郎の養子となった
- 15歳を過ぎてから自分が養子であることを知ったが、養父の芸をしっかりと受け継いだ
- 歌舞伎界では「芸を継ぐ」ことを重視し、養子制度や部屋子制度が発達している
- 「梅幸」の名跡は初代尾上菊五郎の俳名に由来し、代々受け継がれてきた
- 六代目菊五郎から七代目梅幸へ、そして七代目菊五郎へと芸と名跡が継承されている
- 孫には寺島しのぶさんや八代目菊五郎さんがおり、現在も活躍中
七代目尾上梅幸さんの人生と家族の物語は、歌舞伎界における「伝統」と「継承」の重みを教えてくれます。
養子として育ちながらも、養父の芸を真摯に受け継ぎ、自らも人間国宝として後世にその名を残された姿は、本当に感動的ですよね!
そして、その芸は息子、孫へと受け継がれ、今もなお歌舞伎の舞台で輝き続けています!
血縁だけではなく、志と技術、そして精神を受け継いでいくことこそが、本当の「家族」なんだと、この記事を書いていて改めて感じましたね〜!
七代目尾上梅幸さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




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